2015GW(その87)
まさか、GWが年を越すとは、あと少しなんだけど。
一番の原因は、毎日更新するのを
ギブアップしたことだろう。
まあ、無理するとろくなことがないのでマイペースだ。
自転車と同じです。
その86の続きです。
家康の銅像か、そうか生まれた城か、忘れてた。
まあ銅像だと、これぐらいかっこよくしなくちゃね。
まあ、イメージ的にはタヌキおやじだからな~


なかなか立派、というかいい枝ぶり(っていうのか?)
この広げた感じ。

へえ、神社があるのか。
行先にあるなら寄ってみよう。
堀の整備は大変だね。
でも、五万石って聞くと、立派すぎない?
と思ってしまう。
神社はお城の手前にあるっぽい。
なんというか、座りづらいぞこのベンチ。
まあ、さっきの銅像よりは一応やすらぐか?
石都岡崎なんて初めて聞くが。
なんかイメージ的に平野なんだが、それで石職人と
言われても今一。
って例によってぐぐったら、日本三大産地の一つ
(他は香川の庵治町と茨城の真壁町)なんだそうだ。
相変わらずモノ知りません..
花崗岩が有名って、花崗岩っていうと
一日目の苗木城のあたりがやっぱそうだったよね。
ただ起源はそれほど古く無くて、秀吉によって
田中吉政が家康の代わりに移封されたときに
和泉、河内から連れてきたと書かれてる。
田中吉政っていうと、そうそう琵琶湖の方走ってる時に
出身地域の田中城なんてあったよね、寄らんかったけど。
さてと、適当な処に自転車を停めさせてもらって
龍城(たつき)神社にお詣りしますか。
手水舎はやはり龍です。
あるようで、意外とないか?
鳥居とお城のこのバランス。
遺訓って、例の人生とは重い荷を背負って
ってやつか?
やっぱそうだ、碑の方は出だししか読めません..
まあ、幼い時から母と別れて、人質に行ったり来たり、
ではあるが、この言葉重過ぎる..
年末最後の記事がこれではつら過ぎる..
しかも、家康のwikiを見たら有名なこの遺訓は
明治時代に黄門様のを元にした偽作だそうで..
で、最後が家康の遺言だったりする..
本当はね~今年薨去四百年で浜松ぐらいは
行きたいと思ってたんだけど、無理だった。
(この記事で初めてググッたら
静岡、浜松、岡崎で記念事業やってたみたい。
静岡の関連史跡がうまくまとまってるっぽいから
今度参考にしよ~
先週末に四百年祭りの〆として、
家康号が運転したのニュースでやってたな)
わが命旦夕に迫るといへども..聞いたことない。
天下は一人の天下に非ず、天下は天下の天下なり。
これは聞いたことあるような、ないような。
でもな~遺訓は触れる機会はあったろうが、
遺言なんて今回初めて見た様な(遺体は久能山に
とか、そっち系の話は聞いたことあるけど)
で、ぐぐったら、どうやら原典は六韜のようだ。
六韜っていうと、三国志とか中国の軍師系の人物評の話に
引き合いに出される、六韜・三略をそらんじってやつだな。
戦国時代の武将には孫子とか含めて、この辺読まれてた
ようだから当然と言えば当然か。
まあ、家康の遺言が今年最後の記事というのも
うまく符合するからいいか。
ということで、年越しでその88に続きます。
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