久々の大瀬崎(その3)
その2の続きです。
整備前と何が違うかっていうと、
こういうところが藪がなくなって歩きやすい。

で、バス停側にはこんなのある、

これはなんでしょう

安宅船のサイズだけ復元模型。
最初に来た時は単なる駐車スペース(バス停名も城下橋)
次に来た時は作成中だったが、なんだがわからんかった。
自転車や車と安宅船を比較できる場所なんて
そうそうないんでない。

整備前と何が違うかっていうと、
こういうところが藪がなくなって歩きやすい。

で、バス停側にはこんなのある、

これはなんでしょう

安宅船のサイズだけ復元模型。
最初に来た時は単なる駐車スペース(バス停名も城下橋)
次に来た時は作成中だったが、なんだがわからんかった。
自転車や車と安宅船を比較できる場所なんて
そうそうないんでない。


こんなの人力で建造するんだからな~
というか帆小さい、漕ぐの大前提か
安宅船は漕ぎ手50人に戦闘員50人ってことは百人。
長浜城に10隻って、それだけで千人なんだが本当か?
実際はここに書かれた小早(10人乗り)もいたんだよな。
防御は木だがらどんなもんだろう、
よく火矢とか爆弾で一瞬に的な絵図らはあるが、
よく考えたら、帆はともかく木材の所
そう簡単に火付かないよね?
戦闘員だって甲冑だろうし、燃えやすいのって足元?
まあただ火矢の本数が沢山というのはあるか。
椋の木で厚い装甲板って書かれてるが、wikiによると
耐久性は低いと書かれてる..よくわからん。
模型の向こうに遺構があったが
こういうのはもっとよくわからん。
ここでその4に続きます。
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