今年最後だろう(その10)
大場の久八といえば
って、一般の知名度は今一だろうな
同じく台場がかかってしまってるが、大場は地名ね。
でも、生まれは大場ではないのか、
wikiの田方郡の項を見ると、生まれた伊豆国間宮村は
今の函南町か..で地図を見ると、三島市大場の隣だわ。
しかし、子分3千名か
で、幕末というと伊豆は、ロシアのディアナ号ね。
戸田の諸口神社には行くたびに必ずお詣りしてるんだが
その隣の戸田造船郷土資料博物館はまだ入ったことない。
だいぶ前に深海生物館がリニューアルのニュース流れてから
行こう行こうとは思ってたんだが、戸田に行くパワーが
今の時期は海水浴で混んでるだろうし。
で、ディアナ号が破損した津波の原因なわけだが
いわゆる安政東海地震
織豊時代もそうだけど、教科書的には地震が
さらっと習うんだけど、もう少し自然災害の治世や
政情に与える影響を突っ込んで検証・論考された教え方を
してもいいんじゃない、TV番組とかみてると、歴史の見方に
大分そういうの織り込まれるようになってきてるみたいだけど。
現実の地震を風化させないためにも、実は非常に重要と
思ってしまうんだが....
自然災害を字面でさらっと習ったら、そりゃ自分で直接体験しても
忘却になりがちなんだから余計にだよね。
そりゃ、石橋も破損するわな、どこがどこだが
全然わかんないけど。
それよりも、解説と資料の写真が一致してるか
心もとない..こんな字読めません...
小浜池、水がたくさんあるね。
楽寿園の所有者は
小松宮→李王家→緒明家→三島市
..李王家?
日韓併合か...触れないでおこう
墓所は、本立寺にあったのか、
アレ、黄葉を撮っただけで墓は探さなかったよな?
記事を見返すと、像があったので満足したみたいだ。
今度撮りに行くときは忘れないようにしよう。
これが本来の金融の役目だよな...
あそうか、この時は資料買ったんだ、
blogを書くように...すっかり忘れてた
そもそもどこいったろう..ここでその11に続きます。
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コメント
No title
災害をきちんと文書にして残しているとはすごい。
役場のみなさん、よくぞここまで記録してくれました。
歴史は繰り返すんですから、後世の人間は、これを生かさないといけませんね。
2019-07-31 19:40 GGチャリダ URL 編集
Re: No title
こういのうって、当時は宿場役人とかが行ってたんですかね?
復興の支援とかって江戸当時はどうだったんだろう。
あんま具体的に聞かないですよね。
今みたいに法律でがんじがらめではないけど
かといって予算や手段も限られてそうだし。
2019-08-01 05:07 三島の苔丸 URL 編集